デアゴスティーニ安土城 「築城つれづれ」

風に吹かれて 〜こころのおもむくままに・・・
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「阪神淡路大震災」のこと(その5)ガレキの街を抜けて・・
          今回は通勤途上での忘れられない光景や、
                     被災した人たちの話などを書きたいと思っています。


(倒壊現場)
三宮から東灘まであちこちで倒壊した建物が道路まで倒れ込んで道を塞ぎ、住宅の多くはその家の生活がそっくりそのままぶちまけられ白日の下に晒されてしまっているといった感じでした。
人間の粘膜質の部分と言うか、、あまり触れられたくない箇所をもはや抵抗することも叶わないままやむなく、はらわたごとさらけ出している(これが自分の家なら多分そう感じたでしょう)そんな印象を受けました。
たびたび埃まみれになってころがっている「ぬいぐるみ」やマスコットなどを目にしましたが、そのたびごとに本当に心が痛みました。



    震災特集号から転写しました(右中央にぬいぐるみが見えます)

(ボウリング場)
ボウリング場がありました、どうにか倒壊は免れてはいましたが、上の階が抜け落ちていました。
低い方へ転がって行ったのでしょう、瓦礫にまみれてボールがあちらに10個こちらに10個といった状態でころがっていました。
ここは震災の3日前、仕事のあと新春ボウリング大会を行ったボウリング場です。
(ワタクシその時やたら調子が良くてハイゲーム賞を取って狂喜乱舞した正にその場所です)。
3日前まではそこに確かに存在していたのに・・・、本当に明日の事はわからないものです。

(証言1)
東灘で被災し家屋が全壊した社員の話
震災の夜、横倒しになっていた冷蔵庫の中の肉を倒壊した自分の家の瓦礫で焼いて
家族みんなで食べたとのことでした、何という悲しい話でしょう。
(証言2)
東灘で被災し家屋が半壊した社員の話
「そらぁもうごっついゆれてビックリして飛び起きたんやけど、はじめはなんのこっちゃわからんかった、ダンプが突っ込んできたんかとおもた、揺れがおさまったあと嫁はんが窓開けて叫んどるねん」
『お父ちゃん!!お向かいの家無いよ〜』
かなり大きな家だったらしいですが、建物が古かったために瓦の重みに耐えられなかったんだろう
といっておりました。
また、前日串カツパーティをしていたとのことで、そこらじゅう油まみれだったそうです。
(証言3)
比較的揺れの少なかった兵庫で被災、現在勤めている会社の仲間の話(足の指を骨折)
地震直後とにかく早く家から出なければ…と大慌てで引き戸を開けようとしたが、敷居が下がってしまっていてビクともしない、10分ほど頑張ってみたがどうしても開かない。
足元には割れたガラスが散乱していたため暗いなか靴下を探しだし、それを履いている時に裏に窓があることに気付き、その窓から難なく外に出たとのこと。
「いま考えればアホみたいな話やけど、そのときはにパニクってて・・」と言っていました。

       まだまだ書き足りません、 あと少し続けます
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