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2013.02.15 Friday 20:39
牡鹿半島訪問記(1)学校編
2月の8〜10日、牡鹿半島(宮城県石巻)へ行ってきました
最大の目的は、文集『「950キロのかけはし』を寄稿して下さったみな さんにどこよりも早くお届けする」ことでした 「グループねこの手」の代表と私との2人で行ったのですが、とにかく 時間に追われながらの慌ただしい三日間でした 石巻市役所で教育長にお目に掛かったあと、漁港の漁師や学校など を回りました 以下、その時の様子です <荻浜小学校> <荻浜小学校> 震災後児童数が激減、現在3年生が1名、5年生が4名 みんな女の子だそうです ポツポツとお話をされる校長先生の寂しそうな顔が忘れられません <東浜小学校> 震災前は生徒数30人ほどだったらしいのですが、現在は22名 元気で明るい子どもたちでした 放課後、文集贈呈の時間を設けて下さり、1年生から順に名前を 読み上げてもらい一人ずつ文集を手渡しました 渡し終えたあとに思いもかけない「サプライズ!!」が・・ お礼にと、伝統の獅子舞「獅子風流(ししふり)」を全校生徒で披露 してくれたのです この「ししふり」、入学式や卒業式など特別な時だけ行うもので、 最上級の「おもてなし」だそうです 太鼓の響き、笛の音、可愛いお囃子の声、それに合わせて勇壮に ユーモラスに舞う獅子、そして獅子のまわりをはやし飛び跳ねる子 供たちの踊り、今でもあの時の様子が目に浮かびます 本当に感激しました、そして「特上」の思い出になりました 右上に立てかけてあるのは、文集のトビラに使用したもののパネル 早速飾ってくださいました(これは「ねこの手」代表の奥さんの発案) 各学校に差し上げたのですがどこでもたいへんに喜ばれました <荻浜保育所>児童数8名 荻浜の施設が津波でやられてしまい対岸に位置する東浜小学校 の一部を間借りして開設しておりました <荻浜中学校> 震災後は体育館を避難所として開放し、一時100人以上が生活して いたとのことでした 直後は18人の児童がいたのですが、その後次々と転校し続け今回 訪れてみると10名になっていました 見送る生徒たちや先生方はさぞさみしい思いをされたことでしょう 転校を余儀なくされた子供たちはもっと辛かったに違いありません 文集に寄稿して下さったのは現在1年生のお2人(震災当時5年生) (素直な文が胸を打ちます) 学校に到着した時はちょうど生徒会の集会中で、直接渡すのは無理 だろうと諦めかけていましたが先生のお計らいで本人に直接手渡しす ることが出来ました、本当に感謝しております <谷川小学校> 「全国で一番海に近い小学校」だったそうですが、このたびの大津波で 閉校になってしまいました <校庭からの眺め> <閉校の記念碑> 悲しい現実です つづけます Comment
imajin (2013/02/22 9:08 PM)
本当にお久しぶりです
>私の卒業した中学校も統廃合で >なんか、思い出がそっくり消されたようで・・ そうでしょうね〜当方小中学校は鹿児島でした 卒業してから全く行っていませんが「そこにある」だけで寂しくありませんもんね〜 >生徒さん達も元気が出るんじゃないですか 少しでも元気が出てくれればいいんですけど・・ でもブログのことは話していません >ピンクのショベルカー 惜しい! フォークリフトです 「怠慢ブログ」に寄って頂き本当にありがとうございます また寄りますね Trackback
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最後の写真、ちょっと哀しいですね。
私の卒業した中学校も統廃合で卒業した2年後に閉校になりましたが母校がなくなるというのは寂しいものです。
なんか、思い出がそっくり消されたようで。
でもこうしてブログで紹介してもらえるだけで生徒さん達も元気が出るんじゃないですか。
それからピンクのショベルカー(でしたっけ?)も大活躍してるんでしょうね。