デアゴスティーニ安土城 「築城つれづれ」

風に吹かれて 〜こころのおもむくままに・・・
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「悪の教典」のこと

最悪な映画でした
これ以上のひどい映画今までみた事がない

勝手に湊かなえの作品だと勘違いして見に行ったのです
多分、日教組推薦のようなストーリーで、
・・つまり・・
イケメンの熱血教師が陰湿でねじ曲がった生徒達の心をなんとかしようと・・
しかし生徒たちのあまりの心無い言動にたまりかね・・
といったシナリオを勝手に膨らませ、あの「告白」の湊かなえだから絶対に
面白いだろうと思って見に行ったわけです
(あとで分かったのですが、湊かなえは「北のカナリアたち」でした)

[ざっぱなストーリー]
外見的には生徒からの人気も、先生達からの信頼も厚い高校のイケメン教師、
ところがそれは単なる表の顔、その実、とんでもない凶暴さを隠し持った精神
異常者(サイコパスとかなんとか言うらしいが、
              英語にしてしまうとなんとなく意味がうす口になる)
この男、自分の本性が明るみに出そうになると平気で人を殺す

あげく、文化祭の準備で夜遅くまで残っている自分の教え子のところへ散弾銃
を持って現れ、証拠を隠滅するため40人の教え子全員の皆殺しを図る
そして無防備な生徒たちに至近距離から平然と容赦なく散弾を浴びせる
驚く生徒たち、誰もが目の前の惨事に我が目を疑う、ただ訳がわからないまま
逃げ惑い、泣き叫び、救いを乞い、そして銃の轟音、血しぶき、これの繰り返し
次々と犠牲になってゆく子供たち、まるでゲームの世界のよう
床に転がる死体、壁にもたれかかる血まみれの身体
映画の中盤からラストまで殺戮シーンが嫌というほど続く、凄惨極まりない

そしてこのイカレた馬鹿は生残り殺し終えたあと目を輝かせほくそ笑んでいる
TO BE CONTINUEの字幕が出て、この見るに耐えない映画は終わる

ただ残酷なシーンを積み重ねただけで、
一体何が言いたかったのか単細胞の当方には全くわからん
B級映画にも値しない史上最低の映画
この映画を評価する人間が怖い
(原作は上下巻の長編で、しかもいろんな賞を受賞している様なので面白い
んでしょう多分、でも読む気全くなし)

ローマ映画祭で5分近くスタンディングオベーションが続いたとのことだが、
会場の奴らどうかしてる、頭がおかしい、全く理解に苦しむ

AKBの大島優子さんが「この映画キライ!」と泣きながらコメントしたそうだが、
「優子さん、貴女は至極ノーマル、
      面白いと言っている奴らがどうかしてる」

追記
写真手ブレしてますが、この馬鹿映画ならこれで十分
つまらない映画をみたときによく「金返せ」と例えますが、

この場合「気分が悪い」「慰謝料よこせ!」です
                              次は「中島みゆき」を書きます
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「のぼうの城」のこと
「のぼうの城」
[ざっぱなストーリー]
秀吉の命を受けた石田三成が、敵の北条氏傘下にある忍城(現埼玉県)を
2万余の軍勢で取り囲み、城に乗り込み有無を言わさぬ和議を迫る
多勢に無勢、一応体面だけは保てるよう筋だけは通しておいて、当初和議
に応じるつもりでいたのだが、使者の、人を小馬鹿にした様な横柄な態度が
領主成田長親の、今まで静かに眠っていたプライドに火をつける
(今風に言い換えればカチンときたわけです)
よく通る声で「戦います!」と一言
敵も家臣も予期しなかった突然の驚愕の「宣戦布告」

かねてから「のぼう様」と呼ばれ領民に慕われ庶民的で、暇さえあれば
農民の中に溶け込み、いくさなど縁遠い平和主義者の「でくのぼう」が、
こともあろうに、
わずか500の軍勢で無謀にも石田軍に立ち向かうこととなります
(中略)
なかなか落ちない忍城に手を焼いた三成は、利根川を堰止め「水攻め」を
敢行、
このシーン、震災後イヤというほど見せられた、あの津波の映像かと思う
ほどリアルで、震災で公開を見合わせていたことが頷ける
・・最終的には、
領主長親、それに家臣や長親を慕う農民たちの獅子奮迅の活躍で忍城は
最後まで持ち堪えます

痛快で本当に面白い映画、
「義」の為に、力なき小さき者たちが巨大なものに欲得抜きで立ち向かう、
こういうシチュエーション大好きです、最高傑作「七人の侍」もそうでした
上地雄輔、山口智充の演技も大したもの

余談ですが、
このストーリー、世界のクロサワが飛びつきそうな題材、
黒澤が撮ったら、もっととんでもない仕上がりになった事でしょうね〜
でも、CGはかたくなに拒むでしょうから、
   会社に膨大な制作費を要求・・
   まず忍城の緻密なセットを築き・・
   このセットでほとんどの予算を使い果たし・・
   その後、巨額の追加制作費を強要し・・
   どこぞのダムを買い取って・・
   水を貯めるだけに数ヶ月を費やし・・
   ・・・
   クランクアップは大幅に遅れ・・   
   
  でもやっぱり見てみたい!
  [KUROSAWA NOBOU]


次は「悪の教典」の感想を書いてみます
 
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牡鹿のこと3
宮城県牡鹿郡女川町野乃浜「マイルーム野乃浜」 ここが宿泊先、
ほとんどすべての客が女川原子力発電所で働く人たち
狭い部屋に狭い風呂、娯楽施設などまったくなく、作業員の「ねぐら」といった
感じの宿でした 

3階の部屋の左手の眺め、正面は道を隔ててすぐ海が広がっていました
手前の木立の向こうから山の斜面にかけて家が立ち並んでいたとのこと

震災前はガソリンスタンド、日用品店、酒屋があったとのことですが、
今は何も残っていません、堤防もガードレールもまだ当時のままです

2階から3階に上がる階段に津波の高さを示した線が貼ってありました
2011.3.11.  14:46地震発生 15:30津波襲来と書いてあります
この宿も谷川小学校同様、かなり高台にあるんですけど・・
その津波の高さをなんとか理解しようとしましたが、いまだに出来ません

夕食時、食堂のまかないの方と話をしている内、その方の仮設にお邪魔
する、ということになりました
翌朝、ご主人(たくましくてかっこいい漁師さん)も交えて、津波のこと、
ご家族のこと、亡くなられた方たちのこと、これからのこと、などなど、
貴重なお話を聞かせていただきました

東浜小学校
ここは津波の被害は免れ、生徒も全員無事だったそうですが、
長期間被災された方々の避難所となり、また災害対策本部に充てられて
いたとのことでした
震災直後に行われた入学式、
新一年生は女の子1人だったそうです
それでも紅白の幕を張り、地元の獅子舞などで新入生を迎えています
立派な入学式です、u-tubeで観ました
余談ですが、
現在、ここの子供たちの作文も含めた文集「950キロのかけはし」
作成中(当方補佐)、来年の早い時期に完成予定です

牡鹿半島を離れ、最後にすこし石巻中心部をまわりました
港にある倉庫は、がれきこそ取り除かれてはいたものの、壊れたまま、
中はがらんとしていました
高台の日和山から街を見渡すとあちこちにがれきの山が目につき、
訪れた人たちの口からは、震災の話しか聞こえてきませんでした
駅前通りの商店街では入口を板戸で打ち付けた店を数多く見かけました
結構人通りはありましたが、その半数以上はボランティア(多分)

門脇小学校
紅白歌合戦で長渕剛が「ひとつ」を熱唱したところです
まだあのままでした

後ろを振り返るとコンビニ?が壊れたまま立っていました
辺り一面360度、雑草が生え放題、復興までの道のりの長さを想いました

来春、もう一度同じコースをめぐって、今回お会いした人たちともう一度会い
その後のお話をお聞きしようと思っています
                                   おわり 
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牡鹿のこと2(谷川浜)
牡鹿半島はかなり複雑な形をしています
いたるところに入り江があり、そのほとんどが漁港になっています
今回訪れて、初めてそのことを知りました
そして、点在している漁港のほとんどが壊滅状態、石巻中心部へ出る道路
はいたるところで寸断され完全に陸の孤島となっていた様です
石巻の中心部はマスコミもかなり大きく報道していましたが、半島に点在し
ている小さな漁港などは行政の手も届かず、長い間取り残されたままだっ
たのです
 
谷川浜(ヤガワハマ)
津波の被害が特にひどかったところで、巨大な津波に一切合財を持って
行かれ、津波が去ったあとは、もう何ひとつ残っていなかったそうです
そんな事もあってか、牡鹿のがれきのほとんどがここに持ち込まれるそう
で、がれき処理の機械の音だけが浜に響き渡り、数人が手作業で分別作
業をしていました

谷川小学校
2階の天井まで津波のあとが残っていました

音楽室、もうこれ以上は撮れませんでした

漁具が木にひっかかったままです

校庭からの眺め(望遠も何も使わずただ普通に立って撮ったものです)
校舎は海面から30mくらいのところに建っていて、素晴らしい眺望でした
それが2階の天井までやられてしまうというのですから、とんでもない高さ
の津波が襲ったのです
幸いこの小学校からは1人の犠牲者も出なかったとのことでした

小学校の近くの八幡神社、
石の鳥居が津波で折れてしまっていました
石段はボランティアの協力で最近修復したとのことでした

神社からの眺め
ここを数段上った所に鐘楼があり、その屋根ぎりぎりのところまで津波が
遡上してきたとのことです               あとすこし続けます
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久しぶりにアップしました「牡鹿のこと」1 
先日、連休を利用して宮城県の牡鹿半島を訪ねました
震災直後から牡鹿とは少なからず関わりを持ってはいましたが、
訪れたのは今回が初めてでした

荻浜(オギノハマ)
ピンクのフォークリフト
私たち「グループねこの手」の支援活動のシンボル
後ろは建設中の牡蠣の加工場

桃浦
人の気配まったくなし


生活の跡


牧浜
牡鹿のほとんどの漁港が牡蠣の養殖を本業とされています
大津波のあと苦労してやっと育てた牡蠣ですが、今のところ加工施設が
無いために殻のままでしか出荷できないとのこと
したがって価格もむき身の2割程度
「ワシら、これしか出来んから・・」と悲しく笑っておられました

蛤浜(ハマグリハマ)
海に向かって立つともう何も残っていません
振り返れば高いところに数軒、津波を免れた家が残っていました
ほんのわずかな海抜の違いで、まったく違う光景でした    続けます




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